アトピーゼミとは?

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アトピーゼミは、アトピー性皮膚炎に悩む方のために少しでも立つための応援情報サイトです。
アトピー罹患者である私が、身をもって知り得た最新の情報をご提供します。

アトピーに関する情報を、ただ解説するのではなく、「アトピーはどうすれば良くなるmailorderbride take my online classのか」という視点から、身近な食品成分や日常生活の行動など、わかりやすくご紹介します。

アトピーゼミを立ち上げた理由は、私自身がアトピーに悩んでいた経験がきっかけでした。アトピーゼミとはいってもただ単にアトピーに関して詳しく書いてあるわけではありません。なぜならば、アトピーに悩んでいる方々の中には、既にいろんな情報を知っていて詳しい方が多くいらっしゃると思うからです。私自身そうでしたが、アトピーで悩んでいるときは、まだインターネットが無い時代でしたから、アトピーだった親戚に話を聞いたり本を本を読んだりいろんな情報を母親とかたっぱしmailorderbride take my online classから調べました。
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でも実際に調べてみたときにアトピーの治し方について書かれている情報はとても少なかったのです。仕事で忙しい日々を送っているから病院や薬に頼らずになんとかならないものか…情報を探す日々が続きました。そんなときにご縁があって専門家や研究者の方たちと知り合いアトピー最新の情報について様々なお話をお伺いできたのです。

このような経緯と私自身アトピーに悩んでいた経験があったからこそ、今まで出会った方々から聞いたお話や情報を皆さんに公開して、少しでもお役にたてたらと思いこのサイトを立ち上げました。今後は日々の生活や、体験記なども少しずつ公開しようと思っていますので、少しでも興味があればぜひご覧になってみてください。

アトピー体験記

こんにちは、「アトピーゼミ」運営者の真崎です。

今は公私ともに充実した日々を過ごしているのですが、
私自信もアトピー性皮膚炎で悩まされました。

私は中学時代、人生で大きな挫折を味わいました。

中学2年の暑い夏の日に、友達とバスケで遊んでいました。
友達が、「真崎君、顔から黄色い膿がいっぱい出てるよ…」

以前から顔がなんだか痒くて、ガリガリ顔を掻いていたのですが
我慢していつものように学校に登校していたのです。

あまりにもクラスの皆が心配してくれたので、
その日は学校を早退し、早めに布団で寝ることにしました。

夜中、あまりにも顔が痒いため、ガリガリガリガリと掻きまくりました。
真っ暗な部屋でもがきながら一夜を過ごしたのです。

これが私の思春期の大きな挫折の始まりです。

朝起きると、顔が2倍膨れ上がり、赤い血と黄色の膿がドクドクと
流れ落ち、枕やパジャマは自分の血が染みついていました。
血と膿でほとんど目と口が開けられませんでした。

「おか~あさ~ん、助けて~」

母親が心配して、病院に連れて行ってくれました。
診断の結果は、当時は珍しい「アトピー性皮膚炎」でした。

また腕や背中などならまだしも、私は顔と首全体にかかってしまったのです。

顔が2倍にも膨れ上がった状態で、学校に行けるはずもなく
精神的にも落ち込み、寝込んでしまったのです。

母親が学校の先生に連絡してしばらくの間お休みをもらうことにしたのです。

醜い自分の顔を見せたくなかったため、看病してくれる、母と祖母以外の父や兄妹には、
会うことができず部屋に閉じこもる状態が続きました。

まさに今でいう『引きこもり』です。

昼間は痒くて顔をボリボリかき、夜は痒いため布団の中でもがきながら一夜を過ごしました。痒さが収まると、部屋の天井を見つめる日々が続きました。風呂に入るとヒリヒリするのでほとんど風呂には入れませんでした。

2か月、3ヶ月が過ぎ、とにかく学校に行けないことに焦りました….。

寝込んだ日々の中、ある日ふと気づきました。

「このまま、学校に行けなかったらどうしよう…。授業も受けていないし、中間テストも受けていない…。今学校は何をやっているのか? このまま高校には行けるのだろうか…」

当時はチャットやメールが無い時代です。友達との気軽なやりとりなど方法がありません。

たいして頭が良いわけでもなく、運動神経も良かったわけではない、ごく普通の中学生だった為、このまま学校に行けない状態が続いたら、留年も考えられました。

この先、高校・大学と将来の基礎が決まる中学時代で数か月も授業を受けていない状態です。

『人生終わった…』と本気で考えてしまいました。正直焦りました。

それでも、相変わらず、顔がパンパンに張れ、顔中血と膿でいっぱいでした。
くやしい思いの中、天井を見続け、涙を流す日々が続きました。

「このままいったら、真崎君は失明するかもしれません。」

実は当時、「アトピー性皮膚炎」は珍しい病気で今のように情報が少なかったのです。
あまりにも治らないので、母親と大きな病院に行きました。

その時の先生から、「ステロイドで治療することは可能ですが、真崎君の場合、目のあたりがひどく、このままだと目の周りが炎症を起こし、失明する恐れがあります。」と言われてしまったのです。

この時はさすがにショックでした。
さすがの母親もこの時はかなり落ち込んだと言っていました。

「焦らなくても大丈夫…」

引きこもり状態が続いたある日、自宅に、クラスの友達と担任の先生がお見舞いに来てくれました。相変わらず、顔が2倍に腫れていて顔を合わせる状態でなかったため、母親が代わりにクラスの友達と担任の先生と話をしてくれました。

先生「心配する必要はないから、焦らずゆっくり治して元気に登校するのを待っているよ。」

クラスメート「早く元気になって、また遊ぼう!」

と伝言とアイスクリームの差し入れと、
私が出れていない授業のノートを置いて行ってくれたのです。

この時は本当に涙があふれ出したのを覚えています。
自分の事をここまで心配してくれて、応援してくれたことが嬉しかったです。

白衣を着た人生のメンター

当時の母親の決断は、「薬を使わず自然に治す」でした。

ある日、従兄のおばさんから、『東京の練馬区に自然治療でアトピーを治せる先生がいる』と教えてもらい、顔に包帯をぐるぐるに巻いて新幹線で愛知県から東京に行くことにしました。

本当は外に出たくありませんでした。
男とはいえ、顔中包帯巻いて、数ヶ月ぶりに外出する事は相当の度胸がいりました。

またこの病気のせいで、性格もネガティブになり、臆病になり、精神的にも廃人状態でした。でも、ここで頑張って東京に行けば、何か突破口がある気がしたのです。

外出することが本当に恐ろしかったです。

数カ月ぶりに外に出た挙句、ミイラ男のように顔を包帯で覆って行ったので、
新幹線ではギョロギョロ見られていました…..。

病院に着き、看護婦さんから名前を呼ばれ、古ぼけた実験室のような部屋に入ると、
長身で、白衣を着た白髪の老人が椅子に座っていたのです。

見た目が映画 『バックトゥーザフューチャー』に出てくるドク博士のような出で立ちで、
部屋には医学書よりもアメリカのPlayBoyや洋書、自分で描いた絵画などが置いてあり、
通常の病院のイメージとはかけ離れた空間でした。

さらに先生の衝撃の一言が、遠くはるばる愛知県からやってきた親子を唖然とさせたのです。

先生:  「真崎君、学校に行きたいかい?」

わたし: 「ドク… いや先生、早く学校に行って友達たちに会いたいです..(泣 」

先生:  「それでは、一日でも早く学校に行く方法を教えてあげよう。」

わたし: 「先生教えてください!」

先生:  「いいかい、掻かなければ、治るよ。 君が1回引っ掻くことに、学校に行くのが1日遅れるよ。」

わたし:  「えっ??」

先生:  「薬は渡さないから。学校に行きたいなら、痒さに打ち勝つんだ。やってごらん」

わたし:  「わっわかりました ドク・・」

当時の中学生の私にとってこの一言は身体中に電流がビビビと流れました。
この時はじめて、家族以外の人の言葉を心から受け入れ、信じたくなりました。

なんとなく、「この人の言う事を信じよう」と思いました。
そして少し安心、早く治って学校に行ける気がしたのです。

それから、中学の私にとって、なんとも不思議なこの空間とドク博士に興味が湧いてしまい、アトピーのことはすっかり忘れ、先生に色々な事を質問して教えてもらいました。

・若いころ金髪のガールフレンドが欲しくて、Playboyを読んで英語を学んだこと。
・好きな事・得意なことを見つけて、自分を信じて突き進むことの楽しさについて。
・焦らず、諦めないこと。 努力すれば必ず自分の理想とする未来に行けること。

など…

ドクの口から出てくる話は中学生の私にとって、未知の世界でした。
医者ではあるけど、アウトローであり全力で人生を楽しんでいる所に魅力を感じたのです。

・一生懸命勉強して、本当に自分の理想とする未来を作りたくなりました。
・自分を信じて、思うがままにどんどんチャレンジしたくなりました。
・世界の広さを知り世界に飛び出したくなりました。

そして、心の底から熱くなり、ワクワクしてこの場所に居ても居られない状態になったことを今でも覚えています。

それから自宅に戻り、人が変わったように病気と闘いました。

寝る時に引っ掻いてしまうので、寝る時は父親に手伝ってもらい、
ベッドの両脇に両手を縛り付け、痒くなったときは、拳を握りしめて我慢しました。

毎日、手をギュッと握りしめ、歯を食いしばり、突然襲ってくる”猛烈な痒さ”を我慢し
ヒリヒリする痒さと闘いました。

「一日でも早く、学校に行きたい! 早くみんなに会いたい!」
「早く学校に行って、遅れた勉強を取り戻したい!!」
「こんな病気に負けてたまるかっっ!!絶対に治してやる!!」

常に、ドクの言葉が頭をよぎっていました。

「君が、1回顔を引っ掻く毎に、学校に行く事が1日送れるよ……。痒さに打ち勝つんだ。やってごらん」

ドクの言葉を信じ、毎日一生懸命に歯を食いしばり、痒さと闘いました。
本当に薬を使わず、「気合い」で治したのです。

半年間、それまで自分の醜い顔を見ることができなかったのですが、ダイレクトで鏡で見るのが怖かったため、CDの裏側で見たり、部屋の窓ガラス越しから自分の顔を徐々に見ることが出来るようになりました。

そして、少しづつ自分の心にも余裕ができるようになったのです。
だんだんと痒さと腫れが治まってきたのです。

そして、クラスメートから届いたノートを開いて少しでも早くブランクを取り戻したくなり
一日の中で少しずつ勉強する時間を増やしていくことができたのです。

徐々に『寝込む時間』も減り、母親に頼んで、たくさんの本や雑誌を買ってきてもらいました。さすがにプレイボーイは読みませんでしたが、アメリカの文化や映画・音楽にどっぷりはまったものです。

ドクのおかげで、色々なことに興味を持つようになり、心のなかはポジティブになったため、日に日に自分らしさも取り戻すようになったのです。

一日でも早く学校に行く目標を心に誓い、ドクの言う通り、痒さに打ち勝つ努力をしたのです。

次はワクワク、ドクの元へ

まだ赤みはありましたが、すっかり良くなり、ドクにお礼を言いに東京に再度行きました。
今度は”ミイラ男”ではありません。人の目を気にせず堂々と新幹線に乗りました。

病院に向かう途中、練馬区の中学校を横切った時、懐かしさを感じました。

「もうすぐこの空気が吸えるのだ。。早くみんなに会いたい。。。」

わたし:「先生、この度は本当にありがとうございました!」

先生:「すっかり良くなったじゃないか。乾杯だ!これでも飲んでけ!」

ドクが開発した(?)、苦くて真っ黒な漢方のお茶で乾杯しました。

わたし:「ニガイですね。。」

先生:「ところで、アメリカの金髪もいいけど、ロシアの女も・・・・」

わたし:「…… (汗)」

こんな先生でしたが、ドクに出会えたおかげで、

目標を見失わず、自分を支えてくれる人を信じ、病気から打ち勝つことができました。
「全力で頑張れば、必ず自分の中に大きな力を見つけ出し、自分を乗り越えることができる」ことを体験し学びました。

今の自分があるのは、90%は家族のサポートとドクのおかげです。
10%は自分の努力にしておきます(笑

数ヶ月前、天井を見る毎日が続き、生きる希望を失い廃人化した私でしたが
ようやくドクのおかげで学校に行ける心の準備ができるようになったのです。

登校前夜

学校に行く前日、風呂場で鏡を見ながら、ここ数ヶ月のことを思い出しました。

深夜もがき続けた日々
静かな部屋で丸一日天井を見続けた日々
焦りに焦って母親や祖母に怒鳴ってあたってしまったこと
ドクに会ったこと…

「ヨシっ!行ける!学校に行けるぞ!がんばって遅れた授業を取り戻すぞ!!」

風呂に入りながらガッツポーズをした日を覚えています。

半年ぶりに学校へ

それから半年ぶりに学校に行くことになりました。

クラスメイトが登校する時間帯だと、なんだか緊張するので
親と先生に相談して、授業中に教室に入ることにしました。

今でもあの緊張感は忘れません。

静かな廊下を一人緊張しながら、教室に向かった時…
久しぶりにクラスの皆に会う緊張感…
教室の後ろのドアを静かにそっと開けた時…

「真崎君 おかえり~」

先生やクラスのみんなが一斉に振り向き、笑顔で迎えてくれました。

嬉しかった。本当に嬉しかった。
学校に行ける事がこれほど嬉しい事だとは思いませんでした。

『信じて良かった!あきらめなくて良かった! ドク、ありがとう!』
ずっとまっ暗だった闇が、パッと明るくなった瞬間でした。

普通に学校に行けて、普通に友達と話し、普通に勉強できること。
普通の事がとても幸せだと感じた瞬間でした。

勇気や希望を与えてくれたドクには本当に感謝しています。

さすがに、中学時代のブランクがあり希望する高校には行けませんでしたが、
ドクの影響で英語だけは勉強しまくりました(笑

そして、高校卒業後、アメリカや色々な国にも行く事ができました。
自分の好きな道を選び、結果、起業して自分のスキルを活かした仕事に就く事ができました。

今でも、勉強はあまり得意ではありませんが、
自分の行きたいステージに行くためには必ず必要な事だと思い、一生懸命情報収集して勉強しています。

時には、
「なんで、自分だけこんな苦労をしなくてはならないのか、、、」
「自分がアトピーのせいで家族やパートナーに迷惑をかけてしまっている、、、」
「アトピーのせいで楽しく人生を送れていない、、、」

など落ち込むことも、あるかと思います。
それはそれでとても共感します。

でももし、あなたが、アトピーを少しでも治したいなら、
間違った情報ではなく専門的な情報を知っておきませんか?

わたしはあなたが本当に理想とするステージに辿り着いてほしいのです。
絶対にあなたには理想とする結果に辿り着いて欲しいのです。
あきらめないでほしいのです。

病気のおかげで、素晴らしいメンターに会い、家族の愛情を知り、そして苦しい時もあきらめず全力で闘えば必ず理想の結果に辿り着くことを知りました。

今日の話しはあなたにとって、時間の無駄で嫌な思いをされたかもしれません。
ですが同時にこのホームページがあなたの人生を変えるきっかけになれば、とも思っています。

一緒にアトピー性皮膚炎を治しましょう!

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